バナナ餃子の謎
仙台パルコの1階に、バナナ餃子と貼り紙がある中華料理店がある。何度も前を通った事があるから、バナナ餃子という単語が頭の隅っこに残っていた。
弟が面白いDVDがあると勧めてきた。有吉弘行のフェイクドキュメンタリーだ。山形から仙台までのヒッチハイクで画面には見たことがある場所の昔の風景が写っていた。その中で、つい一時停止してしまったのが仙台駅前での映像だった。仙台パルコはまだ建設途中だった。
まだ10年も経っていない。勝手に古い建物だと思っていた。
仙台パルコは再開発によって建てられたビルでその前は第一ビルという、今のパルコからは想像もできない古めかしいビルが写真の中には建っていた。そのビルの1階にあったのが、バラというラーメン屋。偶然、記事を見つけた。
そして、そこのメニューにバナナ餃子があった。そして、いまの仙台パルコの1階にある中華料理屋は息子がやっていると書いてあった。店の名前は変わっても同じメニューを継承しているわけだ。
バナナ餃子の所以がわかって1人で勝手に納得してしまったが、昔の仙台を知っている人からすれば常識なのだろうか。それとも、え!そうなの!となるのであろうか。
20年以上も暮らしていると、街を知った気になる。どこどこの店がうまいとか、あの店が潰れたとか。一端にそういう事を喋るようになる。しかし、よくよく考えてみると、直接知っているのはたぶん10年ぐらいの話で、実はそれ以前の町はよく知らないんじゃないだろうか。
ラジオで誰かが、学生時代は金が無いから、金がないなりの店しか知らない。酒も呑めない時間の方がほとんどだから、学生時代にこの街で過ごしたから旨い店知ってるんだという言葉は眉唾だ、と言っていた。
確かにそのとおりかもしれない。
ほとんどの人が未来を向いて生きているが、結局のところ大部分に人や場所がそれ以前の歴史に規定というか影響されて生きているそして、街には歴史が生き続けている。都市計画を変更させる古墳やバナナ餃子然り。しかし、それらの歴史は意識しないと見えない。歴史だけでなく何事もそうだ。人間には、見ようとしたものしか見えない。
歴史というよりも物語かもしれない。街には物語が生き続けている。こっちの方がしっくりくるかもしれない。
バナナ餃子の話から、随分遠くに来てしまいましたが、ここらへんの話が僕の興味があるところというか、引っかかっているところなのです。うまく整理できれば、うまくいきそうなんだけどなーと。
平成29年5月9日午前2時38分