TokunagaTsukasa | 徳永司

社会に放り出される不安

Googleトップを開いてみるとアイコンが「夏至」に変わっており,夏の訪れを感じています.

大学卒業後というか,これからを考えなければいけない時期かなということを肌で感じています.今まで頑張って生きてきたつもりなのですが,よくよく考えてみると今まで生きてきた時間よりもこれから生きる時間の方が圧倒的に長いんですよね.

その長い先のことを考えると不安で不安で仕方ない訳です.もちろん,これからに対する期待や希望は自分の中に持っています.しかし,そのようなモノが不安を上回るという事はありません.お金の心配であったり,健康の心配であったり,日本自体の心配だったりとスケールが大きいと思われるかも知れませんがそういう所が心配でなりません.

就職や結婚などといったものは,ある程度自分でコントロールできるものなのでさほど不安ではありません.失敗したとしても,やり直す事だって自分次第でいくらでも出来ると思っています.しかし,お金・健康・日本の未来と言った部分は自分でコントロール出来る部分は皆無に等しいので,僕にとって大きな不安になっているのだと思います.

突き詰めるとたぶん,「死」というモノが怖いのだと思っています.自分ではコントロールできない最たるモノだと思います.随分前まで,死というのは遠いところにあるものだと思っていました.しかし,年を重ねるにつれて死が身近に感じられてくるのです.もちろん,自分自身の死だけではなく恩師や友人の死についてもです.

殺人事件や身近な人の訃報を聞く度にとても不安になります.その度に,「生かされている」という言葉を実感してしまいます.自分でコントロールできない部分なのですから,気にしてもしょうが無いと言われればそうなのですが,なかなかそう簡単に割り切れるものではありません.

毎晩寝るときに,目を瞑るたびに,明日またこのベットの上で生きているんだろうかと考えています.最近,生まれる行為は極めて他力的であるという考え方を教えて頂きました.生まれるということは自分ではコントロール出来ないのです.いつの間にか生まれてしまっていたという感じでしょうか. それと同時に,死というのも他力的な行為だと考えています.自殺だって,何らかのコミュニケーションを経てからの行為だと思いますので,ある意味他力的なモノなのだと思います.なので,死ぬというよりは死んでしまっていたという感じなのでしょうか.

生まれてしまっていた,死んでしまっていたとい感じは個人的にもっと突き詰めたいと思っています. そのような感じで,死んでしまっていた,とどこかで割り切れるぐらいの人生を送ろうと日々恐怖から逃げ惑っている今日このごろなのです.

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