2025/07/06
自分の車という、ある種の閉ざされたプライベートな空間を手に入れてから、ラジオを聴くことが増えた。思えば、幼い頃にラジオを聴いていたのも、決まって両親の車の中だった。記憶の中の音風景が、ハンドルを握る日常にふと蘇ってくる。
今日、遠出をした帰り道。高速道路の単調な景色に飽きて、プリセットしてあったとあるFM局に切り替えると、不意に懐かしい声が耳に飛び込んできた。
「NISSAN あ、安部礼司」だ。
数年ぶりに聴く安部礼司の声は、驚くほど当時のままだった。まるで、長らく会っていなかった旧友と、ふと電話が繋がったかのような感覚。その日のテーマは、奇しくも今の自分の心境を見透かしたかのような、「つらいとき、誰に相談しますか?」だった。
ドラマに登場する女性が語りだす。新入社員の頃はがむしゃらだったが、いつしか中堅と呼ばれる立場になり、周りの期待も感じるようになった。しかし、今さら「わからない」とは言えない。後輩には頼もしく見せたいし、同僚はライバルでもある。そんなプライドや遠慮が邪魔をして、素直に悩みを打ち明けられない。そして、彼女は最近、AIに相談しているのだと語った。
まるで自分の話を聴いているかのようで、すっかり引き込まれてしまった。たしかに、最近の私も、他人に相談することがはばかられるような迷いや愚痴を、AIに聞いてもらうことが増えた。しかし、AIはいつだって正論や「あるべき論」といった、いわば“綺麗事”しか言わない。共感してくれているように見えても、そこには血の通った温度がない。だから、どうにも好きになれずにいた。
この「同僚に相談できない」という状況は、単なる個人の性格の問題なのだろうか。チームビルディングの文脈で考えるなら、これはチームの「心理的安全性(Psychological Safety)」が欠如しているサインなのかもしれない。心理的安全性とは、「このチームの中では、自分の弱みや失敗を正直に話しても、誰も自分を罰したり、笑いものにしたりはしない」と信じられる状態のことだ。
番組の女性のように、あるいは私自身のように、多くの人が「こんなことを言ったら、能力が低いと思われるのではないか」「チームの輪を乱すのではないか」と感じて口を閉ざしてしまう。それは、チームが本当の意味での「チーム」として機能していない証左ではないだろうか。AIへの相談は、その場しのぎのガス抜きにはなる。AIは決して人格を否定しないし、感情的に反応することもないからだ。しかし、それはあくまで個人の問題解決に過ぎず、チームとしての経験や学びには繋がらない。
本当に強いチームとは、AIが提示するような最適解をただ実行する集団ではない。むしろ、非効率で、時に感情的ですらある「相談」というプロセスを通じて、互いの弱さを認め、一緒に悩み、乗り越えていく経験を共有できる集団のことだろう。AIが返す「綺麗事」の向こう側にある、生身の人間の葛藤や、言葉にならない本音を拾い上げ、受け止められる環境。それこそが、心理的安全性の本質だ。
ラジオドラマの安部礼司が、なぜこれほど長く愛されているのか。それはきっと、彼がスーパーマンではなく、私たちと同じように悩み、失敗し、それでも同僚や家族という「チーム」との関わりの中で、不器用に答えを見つけていく等身大の存在だからだろう。
AIに相談する気軽さは、現代の私たちにとっての救いの一つかもしれない。しかし、AIとの対話は、あくまで自分一人で完結してしまう。車という閉じた空間で、奇しくも「チーム」という開かれた共同体のあり方に思いを馳せる。私たちが本当に求めているのは、完璧な答えではなく、ただ黙って隣で一緒に悩んでくれる、生身の人間の存在なのかもしれない。