TokunagaTsukasa | 徳永司

ムステリアン論争の現代的意義について

ムステリアン論争とは何だったのか

フランスのドルドーニュ地方の中期旧石器文化の様相は複雑であった。これを数量的分析をすることによって整理したのがボルドである。ボルドは基本的に4つのグループに分け、3つの仮説を立て、石器組成の差は人間のグループによる差として解釈した(藤本1976)。
ビンフォードは、因子分析を使いこの問題に反論した。同一地域の同じ時期に4つの人間の違ったグループが影響もしあわずにいるのはおかしいという問題点から出発し、石器群は人間の遺跡での行動を遺していると考えた(藤本前掲)。

上記が本論争の簡単な概略である。以下では、2人の考えを対比的に記しながら整理したい。

F・ボルドによる考え:

ボルドの分類の概略 各石器形式や技術要素の頻度の差に注目すると、西南フランスのムステリアン石器群は、典型的なムステリアン型、鋸歯縁・抉入石器が多い鋸歯縁型、ハンドアックスや背付き石器をふくむアシュール伝統型、分厚い削器が特徴的なシャラント型の4つに分類できる。

これらの分類について、(Bordes 1961)を確認したい。

(1)アシュレアンの伝統のムステリアン(Bordes 1961:804)
まず第一に、多数のハンドアックス(遺物の8~40%)が存在する段階(タイプA)があり、その中には三角形の形をした斧(図1、14番)、ハート形の斧(コルディフォーム)(12番)がある。これらは、かなり多くのサイドスクレーパー(20~40%)(No.2)、歯状の道具(10~15%程度)(No.7)、いくつかのポイント(No.1)、そして急斜度のリタッチで片方のエッジが鈍くなったフレークの上に作られたナイフ(No.5)と関連している。サイドスクレーパーは一般的に平板であるが、いくつかの種類がある。背付きのナイフとハンドアックスは、アシュレアンの伝統を持つムステリアンの典型的なものである。他にも、エンドスクレーパー(No.3とNo.9)、グレーバー(No.8)、ボラー(No.10とNo.11)、切断されたフレークやブレード(No.6)など、いくつかの旧石器時代後期のものがある。

(2)典型的なムステリアン(図2、No.1-7)(Bordes 1961:805)
典型的なムステリアンは、一見するとアシュレアンの伝統的なムステリアン(タイプA)に非常によく似ているように見える。サイドスクレーパー(どちらかというと平たい)(25~55%)、いくつかのくぼみや切り欠きがあり、よくできたポイントがある。しかし、ハンドアックスや背付きナイフはほとんどないか、あるいはない(せいぜい0.5パーセント)。ラ・キーナ型の太いサイドスクレーパーも見られるが(アシュレアン伝統のムステリアンのように)、これらは非常に少ない(せいぜい1%)ので、おそらく真に重要なものではないであろう。したがって、アシュレアン伝統のムステリアン(タイプA)と典型的なムステリアンの主な違いは、ハンドアックスやナイフが前者にあり、後者にはないという事実にある。これは本当に大きな違いである。

(3)鋸歯状のムステリアン(図2、No.8-17)(Bordes 1961:805)
このグループにはハンドアックス(少なくとも典型的なもの)やバックナイフはない。ポイントもほとんどなく、スクレーパーも非常に少ない。エッジに加工が施されているフレークを「スクレーパー」と呼ぶならば、その数値は13%と高いかもしれないが、スクレーパーの狭い定義にこだわるならば、3~7%以上になることはまずない。しかし、ノッチ付きのツールと鋸歯状のツールが豊富にある。いくつかの層では、この2つのタイプを合わせると、集合体の80%近くを占め、残りはサイドスクレーパー、エンドスクレーパー、バーン、ボーラーなどである。

(4)キナ型のムステリアン(図3)(Bordes 1961:805-806)
ハンドアックスや裏付きナイフはほとんど、あるいはまったく見られない、それ以上に多くのサイドスクレーパー(最大で75%以上)があり、多くの場合、立派なものが見られる。その中で、普通のタイプのものと並んでいるのが、特別なもの、キナタイプのスクレーパーである。これは厚手のフレーク状のもので、通常は作業端が凸状になっており、魚の鱗が重なったような特殊なレタッチが施されている(図3、No.1)。このようなスクレーパーは、側面スクレーパーであってもよいし、横型スクレーパーであってもよく、刃先がフレークの突端に対向するようになっているものがある(図8)。また、ハンドアックスと間違うような両面スクレーパー(No.3)もある。 片面のフレーキングは非常に浅く平坦で、もう片面にはスカラーリタッチがある。片方のエッジは加工されずに放置されていたり、他方のエッジよりも粗く加工されていることが多いが、2つのエッジが同じようにリタッチされていることもあり、ハンドアックスと間違われることもある。また、いくつかのくぼみ、ノッチ付きの工具、バリン、ボラー、エンドスクレーパーもあり、これらはカリネート型かノーズ型のいずれかである(図3、No.7)。また、比較的多く見られるもう1つの道具として、ナメクジのような形をした「ライムレース」(No.4)がある。  ボルドは、ムステリアンの4つの主要な類型論的細分化を行い、類型論的な区分を横切っているのは、技術的な区分であるとし、ルヴァロア技法と関連させた論述を行い、この4つのグループが生じる理由について、3つの仮説を提示した。
文化進化の仮説、季節変動の仮説、人間のグループによるものの差異であるという仮説である。
文化進化の仮説については、発展段階的な進化論を否定した上で、異質のインダストリーが他のインダストリー間に挾在することから否定した。季節性をもった営みとする考え方については、ムスティエ文化人は、長い間同じ場所に留まっていたと言うことを、インダストリーの厚い堆積から証明できるとし、否定した。ボルドは、人間のグループによるものの差異であるという仮説を支持した(Bordes 1961、ボルド1971)。

L・ビンフォードによる考え:

石器群は人間の遺跡での行動を遺していると考え、人間がその場所で何らかの活動をすれば、それに必要な石器のタイプがセットとしてあるはずである。これがビンフォードの立論の基礎となっている(藤本1976)。
ビンフォードは、遺跡における石器群の差を遺跡の機能の差に求めようとし、石器の因子分析を行った。因子分析は、その地点のその層位での人間行動を象徴する石器のセットを抽出するために利用された。
ビンフォードは、ボルドの分類を使用し、資料はシリアのヤブルド岩陰、イスラエルのエス・シュッバイク洞窟、フランスのホープヴィル・オープン遺跡の3地点である。
ビンフォードは、5つの因子と4つの仮説を設定した。
4つの仮説は、2つの因子をカルテシアングラフで示したものである。
パターンAは2つの因子が機能的に異なっているが、ある特殊な仕事は、特殊な仕事は特殊な道具で共有していることを示している。パターンBは、機能的に同一と言うことを示している。パターンCは、非常によく似た活動をしていたことを示している。パターンDは、2つの因子は排他的でまったく無関係であることを示している(藤本前掲、Binford・Binford1966)。
因子1には、石錐、嘴状石器、刻器のように長い軸の刃部を持つ物が含まれる。狩りや動物解体用と考えられる道具はまったく入らない。
因子1では、骨や木材を加工し柄を作るという保守管理という仕事に関係があることが考えられる。因子2は、狩猟と動物解体と強く関連する。因子3は、動物を加工するような作業に関連すると考えられ、因子3は炉を持つベースキャンプ的な遺跡から発見されることが期待される。因子4は、植物質の加工と骨を削る作業との関連が考えられる。因子5は、狩猟と動物解体に関連した因子で、因子2と複雑に関連する(図4)。
ヤブルドの分析まとめでは、因子4が支配的であることから、ワーキングキャンプと判断した。シュッバイク洞窟では、因子1が60%、 因子2と3が20%を占め、ヤブルドとは異なったパターンを示すとし、ベースキャンプと判断した。ホープヴィルでは、因子3が支配的に認められ、因子2と因子4が少量認められる。それぞれの因子と関連した作業が行われており、解釈はしにくいとまとめた(図5)。

ムステリアン論争の現代的意義

*「機能」と「型式」というキーワードを使って、ムステリアン論争の現代的意義を論じなさい。

 藤本(1976:94-95)は、ビンフォードがボルドの分類を使用し因子分析を行う事について、問題があると述べる。すなわち、ボルドの分類というのは石器製作時点での分類に他ならず、形態が重要な意味を持っている分類である。もちろん、その使用のことを考えてボルドが分類を行っていたとしても、ビンフォードがその論において行おうとしているのは、石器を使っての人間行動へのアプローチである。つまり、石器の制作時の形態を基にした分類を使用して、道具の使用時の人間行動の行動へアプローチするというのは、秘薬があるのではないかというのである。 石器の型式と機能の間には、大きな相関があるとも言えるし、大きな溝があるとも言える。土器や土師器などの製品とは出発点に大きな違いがある。石器は引き算の産物であり、石器を製作した人物の意図や設計図の通りになるとは限らない。石器の素材に規定されるかもしれないし、物理現象ゆえその力学的な作用の違いによって幾通りもの成果物を生み出すであろう。一方、土器は粘土という可塑性のある素材から製作され、制作者の意図を石器よりも幾分かは反映しているかもしれない。
一方、土器にもその点で問題点がないわけではない。かつて、ハイデガーは物を捉える講演の中で、瓶の本質についての分析を行っている(ハイデガー森一郎編訳2019)。その中で、ハイデガーは納める働きをする本質は、空洞にあると述べた。瓶の水を満たすのは、空洞に他ならず、瓶の空洞こそが瓶の納める働きをする本質なのであると。
つまり、可塑性に富んだ土器はその器形や文様特徴から型式の組列が組み立てられているが、本質は空洞にあるかもしれない。もちろん、土器の容量や喫水線についての諸処の研究もあるので問題はないかもしれないが、空洞の研究は十分に行われているだろうか?
では、石器に目を向けたとき石器の本質とは何なのだろうか。石器の形なのだろうか。刃部の位置だろうか。逆説的に言えば、機能が定まっていない物の本質を見分けることは出来ないではないだろうか。使用痕分析がいくら高精度化しても、この問題は解決できないであろう。なぜなら、1つの石器を多用途に使ったかもしれないという複合的な要因を使用痕分析では排除しきれないからである。
また、リダクションの観点からも石器を語る際の問題がある。我々が目にする石器は、あくまでも最終形態(製作の途中かもしれないが)である。つまり、型式認定する石器は最終形態であり、その前の姿は到底分からないと言うことである。
このようなことを述べると、揚げ足取りや二義的な問題であるという論もあるかもしれないが、型式から一歩先に行くとき、つまり機能を考えるときにはそこに大きな壁が存在し、その壁は無視できないのではないかと思うのである。
ムステリアン論争の現代的意義とは、「論争」であるという点ではないか。つまり、論争のまま止まっている(動いている)ということである。我々は、この論争をアップデートし終結させなくてはいけない。
そのためには、「第一考古学」的な分析手法のアップグレードや編年研究の高精度化などさまざまな方法があるかもしれない。しかし、現代的意義を考えるに五十嵐章のいう「第二考古学」的視点が必要な気がしてならない。考古学という学問独自の思考方法を考える研究が必要ではないだろうか。

参考文献
(英文)
Binford, Lewis R. and Sally R. Binford (1966) A Preliminary Analysis of Functional Variability in the Mousterian of Levallois F acies. American Anthroprogist vol. 68, no.2 part 2, pp. 238-295
Bordes, Francois (1961) Mousterian culutures in France. Science vol. 134 pp. 803-810

(和文)
藤本 強(1976)「技法と機能」『日本の旧石器文化』第5巻 雄山閣 71-145頁
F. ボルド 芹沢長介、林謙作訳(1971)『旧石器時代』平凡社
マルティン・ハイデガー 森一郎編訳(2019)『技術とは何だろうか』講談社学術文庫

Prev 今後の埋蔵文化財保護における問題点について述べよ Next 中世期の日記についてのレポート