TokunagaTsukasa | 徳永司

今後の埋蔵文化財保護における問題点について述べよ

今年の調査では、地域との接点が昨年より2つ増えた。1つ目は、「自転車」。2つめは、「中帳場」だ。
まずは、「自転車」の話。調査中の宿泊場所である屋代村塾から調査地まで約2km、調査終わりに立ち寄る湯沼温泉までは3kmほどの道のりがある。昨年までの我々の移動手段は、ハイエース1台とレンタサイクル2台だけであった。ハイエースの定員は、9名。全員が乗れるはずもなく、ほとんどの学生は交代しながら徒歩で移動していた。日中に調査をして、徒歩で移動するというのは、しんどいはしんどいが夜風を浴びながらみんなで喋りながら宿舎まで帰るというのは、それはそれで楽しかった。
今年も歩くぞ!と意気込んでいたのだが、地元の方が家で余っている自転車を貸してくださることになった。なんと、ほぼ人数分の自転車が集まり文明的な移動手段を確保することができ、移動は格段と楽になった。自転車を貸してくださった地元の方には、大変感謝している。
つぎは、2つ目の接点、中帳場の話だ。発掘の中盤に、一段落ということで中帳場を開いていただいた。おいしい食事と生ビールを頂き、英気を養う事ができた。食事よりも、楽しかったのが地元の人との会話だった。学生の自己紹介から始まり、そこから地元の人の周りに集まる学生の輪ができていった。普段しないような話、聞けないような話、調査の話など大いに盛り上がった。
まだ、調査が始まって2年だが年々地域との接点が増えている気がする。その度に、自分がなぜ考古学をしているのか、なぜ調査をするのか考えるし、考えさせられる。今年の中帳場である地元の方が言った、「去年のTシャツには、そこに過去があるから、と書いている がそれだけではダメだろう。」という言葉が自分の頭のなかにずっと残っている。
過去と現在に向き合いながら、調査を続けていきたいと思う。

上記の文章は、私が3年目の日向洞窟の発掘調査に参加した際に、大学に提出した小レポートである。日向洞窟の発掘調査は、遺跡の近くにある「屋代村塾」という施設に泊まり、合宿型式で行っている。山形市から高畠町は十分通える距離だが、初年度から一貫して合宿型式での調査を行っている。地域の中で発掘調査をすることは、とてもしんどい。ゴミ出しの度に怒られるし、地域の人に作業中に話しかけられる。知っている人から声を掛けられるのと、知らない人から声を掛けられるのとでは大違いである。

埋蔵文化財保護における問題のひとつは、それが「埋蔵」されているところに根本的にあるのではないかと思う。発掘をしている最中は、地中から遺物が出土する生々しい光景を見てもらうことができるのだが、埋め戻してしまえば、土地と遺物は遊離してしまう。そこに、埋蔵文化財特有の難しさがあるのではないかと思う。
いくら剥ぎ取りをしても、いくら出土した状態を模型で再現しても、博物館や資料館に置かれた遺物にあの生々しさはないのである。やはり、そこをどうクリアするのかそこが問題のような気がする。

発掘に考古学の魅力があるような気がするのだ。自分が書いた文章は、発掘中にそれを見ている地元の人と交流したから生まれたものだろう。きっと、発掘が終わってから公民館で現地説明会を開いても同じような雰囲気にはならないはずだ。泥だらけの自分たちを見てくれてるからこそ、中帳場があれだけ盛り上がったように思う。
先日、登呂遺跡博物館に行った際に目を引かれた展示があった。展示の最後にあった、登呂メモリーというコーナーである。遺跡の発掘に参加した人の感想や写真、手紙などが展示されていた。展示ケースに並べられた石器や土器よりも生々しかったような気がする。

展示される石器や土器はどこか芸術品のような扱いを受け、発掘や地域から遊離してしまっているような気がする。そこが埋蔵文化財保護特有の問題のような気がする。そこをいかに結びつけるか、そこの問題を解消することこそが活用への第一歩ではないだろうか。

2017年富山県埋蔵文化財センターで開催された開所40周年特別展示はそういった意味で生々しい展示だった。とくに目を引いたのが「大変だった写真」というコーナーである。写真の裏側を見せるというのは、どこかかっこ悪いようで格好よかった。

遺跡に対しての愛を見せつける。そんなことが、保存と活用には大事な気がする。遺跡をどれだけ愛しているのか。それが、保存と活用に直結するのではないだろうか。埋蔵文化財保護の一番の問題点は、遺跡への愛が足りないことなのかもしれない。
(1938字)

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