TokunagaTsukasa | 徳永司

文化財保護の課題をひとつあげ、説明と自己の所見を述べよ

文化財保護の課題:「考古学は地域を元気にする」を自身の経験から考える

 森浩一の言葉まで辿らなくても、「考古学は地域を元気にする」といった類いの言葉はこの世にあふれている様に感じる。筆者は、森浩一の著作を実見していないので氏のこの言葉に対するコンテクストを十分に理解していない。しかし、この言葉を字面通りに受け取った時に、この言葉は、果たしてそうなのか、そんな事が言えるのかということを筆者の体験を基に考えてみたい。

 筆者は、福島県いわき市で生まれ、中学校卒業まで過ごした。卒業後は、宮城県仙台市にある仙台電波工業高等専門学校電子工学科(現:仙台高等専門学校広瀬キャンパス知能エレクトロニクスコース)に進学した。幼い頃から物作りが好きで、オープンキャンパスで得た面白そうという直感にまかせて遠くの高専に進学し、寮生活を選んだ。実際の学校生活は、オープンキャンパスのそれとはほど遠く、落第点の連続だったが、学校の先生はおもしろい人が多かった。諸先生の研究室にいる時間は誰よりも多かったように思う。そのような生活の転機となったのは、東日本大震災だった。春休みの実家で被災した。地震直後から、停電と断水に見舞われ、将来自分が作るであろう、電子機器はただの箱だった。文章にすればたった一行だが、自分のアイデンティティを失う感覚をはじめて味わった。もちろん、東日本大震災においてテクノロジーが果たした役割を否定するわけではないが、当時はそれすら考えられなかった。震災から時間がたち、仙台に戻り、学校生活に戻り、偶然目にしたが「コミュニティデザイン」という山崎亮の講演会だった。コミュニティデザインとは、いわゆるハード面(ニュータウンのランドスケープデザイン)ではなく、住民とのワークショップなどを通じてソフト面でコミュニティの問題を改善しようという考え方である。そのポスターに惹かれ山崎亮の講演会に参加し、人という魅力に気づいた。

 紆余曲折あり、3年で高専を辞め、大学に進学することを決めた。コミュニティデザインを考えようと思い、建築学が学べる大学をいくつか受けたが、大学受験の勉強をしていない自分には難しかった。東北芸術工科大学も、その中のひとつだった。第一希望に建築環境学科を書き、第三希望に何気なしに歴史遺産学科を書いた。結局、合格通知が届いたのは、歴史遺産学科からの一通だけだった。受験後にはじめて歴史遺産学科のウェブサイトを確認し、民俗学という文字を見て、ここでも人について考えられるかもしれないと思い、東北芸術工科大学歴史遺産学科に進学した。

 考古学には、学部2年生の時に出会った。日向洞窟遺跡の発掘調査実習に参加したのである。日向洞窟遺跡の発掘調査は、合宿形式で行われ地域との協同のもとで成り立っていた。地域の人が管理する宿舎に宿泊し、来訪者があれば説明し、夜は温泉に浸かりながら同じ浴槽にいる地域の人に遺跡のことを説明した。朝起きれば、前の晩にはなかった野菜が玄関に置いてあることもあった。発掘の中盤に中帳場と呼ばれる、飲み会を地域の人に開いて頂いた。その会の中で、地域の人に忘れられないひと言を言われた。

「おまえらは、考古学って言って、穴掘って昔のことがって言ってけど、俺らの生活は今が大事なんだ。年取って自分の家の歴史とかそういうのには興味わいてきたけどな・・・」

 そんなようなことを言われた。筆者には、前途のような背景があるから、常に「いかに人の役にたつのか」ということを自分に問いかけながら学問を続けてきた。考古学は役にたつのではないかと思いかけていた矢先のことだった。それから、考古学と地域を結びつける言説を聞くたびに、地域のアイデンティティと考古学を結びつけようとする人を見るたびに、この言葉が浮かんでくる。

「考古学は地域を元気にする」というのは、考古学者のエゴではないだろうか。考古学者の希望が含まれていないだろうか。文化財を保護する、これは考古学に携わるものとして当然持っていなければいけない基本原則なのかもしれない。しかし、文化財の保護が、遺産を継承していくことが重荷にならないだろうかと考えてしまう。今よりも過去の遺産が大事なのだろうか。明確な答えはまだ出せていない。

(1710字)

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