常滑窯の窯体構造について
窯体構造の概要:常滑窯の窯体構造については、焚き口に続いて燃焼室があり床面の中央から天井まで立てられた分焔柱の部分を境界として焼成室に移る。焼成室では後部の床幅をひきしめて煙道部に接続し、最後に煙出し部分におよぶ。
窯の構造を平面から観察した場合、全長15メートル程度のものがおおく、12メートル前後のものがもっとも多い。窯の幅については、2.5メートル程度のものが一般的である。幅でもっとも広いのは、分焔柱から奥へ1〜2メートル奥にいった部分である。窯壁は、燃焼室においては直立しているのに対し、焼成室は丸く張って湾曲しているため、焼成室ににおける両壁間の最大幅は、床面の幅より広く場合があり注意が必要である(杉崎1970)。
山茶碗窯の構造:山茶碗や山皿など小形品を焼くために使われる窯の構造様式である。焚き口から分焔柱まで焼成室の床面はほぼ水平であり、分焔柱の背後にあたる焼成室前部の1〜2メートルの床幅が広くなっている付近まで水平の床面が続く。焼成室の床面は中央部から立ち上がり煙道部につづく(杉崎1970)。
もっとも古い段階の山茶碗焼成窯で、窯体が良好に検出された事例は武豊町南蛇ケ谷2号窯(南蛇ケ谷古窯群)で、ある。焼成室末端から煙道部を欠いているが、2.0mある。床面傾斜は焚口から分炎柱に向かって残存長6.5mで、最大幅は焼成室前半部にあり、8度で下降し、焼成室最前部がもっとも低くなる。焼成室は、分炎柱からlmまでがほぼ水平で、そこから31度で上昇し、焼成室中央部から煙道部にかけては40度で急上昇している。煙道部は消失しているが、一般に煙道部は、傾斜が急に緩やかになり、水平に近い面を作った後、緩い傾斜で上昇することが多い。分炎柱の両脇には、間仕切り障壁と呼ばれる高さ20cmほどの壁が構築されている。東浦町八巻1·3号窯(八巻古窯群)では、最大幅が2.5mほどで、やや広くなっている。焼成室前半部のほぼ水平な床面は約1.3mと長く、南蛇ケ谷2号窯とは異なる要素を含んでいる。八巻3号窯では、その先の床面傾斜が29度と41度の2段階で上昇し、焼成室末端は40度以上の急傾斜になっている。煙道部は良好な状態で残存し、長さは1.0mを測る。焼成室末端から水平に近い床面が短く形成され、急傾斜面が階段状になる複雑な構造を示している。焼成室と煙道部の境界にある平坦面には、火炎調節棒を並べた施設(ダンパー)が確認された。常滑市上白田1号窯(上白田古窯群)は、焼成室後半部から煙道部を欠いているが、最大幅は2.2mである(愛知県史編さん委員会編2012)。
甕窯の構造:甕を主体とした大形の品を焼くために工夫された窯の構造様式である。焚き口から燃焼室までほぼ水平に進んだ床面が分焔柱の背後にあたる焼成室前端部で段をもって下降しており、燃焼室前部の前部はやや傾斜をもち、やや急傾斜で立ち上がる。分焔柱の背後の段は、大形の製品を窯詰めした場合底部から下胴部は死角となる。燃焼室からの火焔の流れは燃焼室前部に直接当たることなく、燃焼室中央部の床面にあたる(杉崎1970)。 発掘調査が実施された壺・甕焼成窯で、もっとも古い段階に属しているのは知多市大知山1·2 号窯(大知山B古窯群)、常滑市籠池3号窯(籠池B古窯群)、六反田古窯群、阿久比町比沙田古窯群、武豊町北小松谷1号窯(北小松谷B古窯)で、1 b型式期である。これらの窯は、基本的な構造は山茶碗焼成窯と同じであるが、詳細に観察すると各部分の構成は山茶碗焼成窯と異なっている。分炎柱を境として焼成室最前部の床面が急激に下降していることで、焼成室最前部を掘り下げることによって、天井高は籠池3号窯で1.6m、大知山1号窯で2.0m以上になり、大型製品を窯詰めすることが容易になっている。また、北小松谷1号窯では天井高は1.5mほどに復元されるが、山茶碗焼成窯がlmほどでありより高くなる。焼成室の床面傾斜は緩く、大知山1号窯では焼成室末端が45度ほどの急傾斜になっているが、2号窯では水平な面に続いて19度で上昇する。大知山1·2号窯は、全長が14〜15mと長く、最大幅は2.8〜3.4mである。北小松谷1号窯は最大幅が1.8mと狭く、床幅の変化が乏しい構造になっている(愛知県史編さん委員会編2012)。
渥美様式窯の構造:渥美半島で多く多く見られることから渥美様式と呼ばれる。知多半島でも類例が知られる。燃焼室床面は、焚き口の部分から燃焼室に向けて急激に降下する。燃焼室の床面から天井までの高さは、比較的高い。分焔柱の付近から床面は燃焼室前端部へむけて急角度に下る。燃焼室前端部の分焔柱背後に当たる部分の傾斜がもっとも深くなる(杉崎1970)。
参考文献
杉崎 章1970『常滑の窯』学生社
愛知県史編さん委員会編2012『愛知県史 別編 中世・近世 常滑系』
(1950字)